戦前・戦後を通して日本の近代建築の歴史に大きな足跡を残した建築家・前川國男(1905-86)の生誕100年を記念して、50年に及ぶその仕事を振り返ります。
本展は、建築図面約150点、模型約30点、そのほか写真や資料等、計約250点で、前川建築の全体像と、彼の建築思想の核を広く検証する展覧会です。

(写真:廣田治雄)
本展は、戦前・戦後を通して日本の近代建築の歴史に大きな足跡を残した建築家・前川國男(1905-86)の生誕100年を記念して、その仕事を振り返りながら、彼の建築思想を広く検証するものです。
前川國男は新潟市生まれ。1928年、東京帝国大学工学部建築学科を卒業した夜、シベリア鉄道経由でパリへ渡り、巨匠ル・コルビュジエと初対面しました。そこで目にしたコルビュジエ作品「ガルシュの家」に大きな衝撃を受け、コルビュジエのアトリエの下で2年間、モダニズム建築の理念を学びました。
帰国後、前川はコルビュジエの著書『今日の装飾芸術』を訳出。同年夏には、フランク・ロイド・ライトに伴われて来日したアメリカの建築家アントニン・レーモンドの日本事務所に入り、建築の基礎や技術などを学びます。そのかたわら、1932年、自身の処女作となる「木村産業研究所」(青森・弘前市に現存)を手がけました。
前川は、二人の重要な建築家から学んだ理念を、日本の気候・風土の中で実践し、日本文化の中に定着させることを理想として、1935年、仲間とともに独立し事務所を構えます。独立後の初仕事は、小さなバラックビルを改造した「森永キャンデーストアー銀座売店」(現存せず)でした。戦前は、様々なコンペ案に挑みながら、木造によるモダニズム建築にも挑戦し、1942年に建てた自邸(東京・小金井市の江戸東京たてもの園に移築保存)には、前川の原点ともいえる空間表現が残されています。
一方で、建築技術の近代化、建物の耐震性、高温多湿な自然環境への適応性など、当時の日本の建築界が抱える多くの問題に徹底して取り組み、日本独自の近代建築とは何かというテーマを生涯にわたって追求しました。前川建築の大きな特徴は、建物全体を象徴的に統合する大きな庇(ひさし)のデザイン(東京・上野の「東京文化会館」など)、日本の伝統的な焼き物を用いた独自の構法である「打込みタイル」の開発(東京・丸の内の「東京海上ビル」など)、壁に囲まれた空間の単位を組み合わせて流れるような平面プランを洗練させるなど、欧米の建築にはなかった方法論を次々に生み出したことにあります。そして、それらが時間の流れに耐えて豊かに成熟し、環境に溶け込みながら風景を形づくることのできる建築のあり方を模索したのです。
本展では、建築図面約150点、模型約30点のほか、スケッチ、写真、資料に、前川が関わったコルビュジエやレーモンドの建築図面も加え、計約250点で、50余年に及ぶ仕事を振り返りながら、前川建築の全体像を再現するとともに、日本の近代建築における可能性を改めて検証します。
1932年竣工 (*複写図面、模型、写真パネル他を展示予定)

弘前市に残る前川國男の8作品のうち、唯一のル・コルビュジエ風の近代建築。前川は1930年8月からレーモンド事務所で働き始めていたが、「木村産業研究所」は、初めて自分の名を冠した作品であり、前川が渡仏期に初めて目にしたル・コルビュジエ作品「ガルシュの家」(1926-7)の、「四角な固い箱」に一脈通ずる。しかし、この建物では、ル・コルビュジエの5原則のひとつである「横長の窓」は実現されず、ラーメン構造の柱の間にサッシュが組み込まれている。一方で、ピロティや半円形の突出部などには類似点があり、入口部分の吹抜けやガラス張りの明るい室内、床タイルのパターンなどにも、後の前川作品の萌芽が随所にうかがえる。2004年、国の登録有形文化財に指定された。撮影=吉村行雄
1942年竣工 (*建築図面、模型、写真パネルを展示予定)

結婚を機に上大崎に建てられた自邸。現在は、東京都小金井市の東京たてもの園に移築保存されている。1938年の建築統制規則により30坪制限を受けている。当時は、伝統再考の機運から民家への関心が高まっていた。五寸勾配の大屋根の下に、吹き抜けをもつ居間と食堂の一室空間と、その両脇に個室が配された構成で、ル・コルビュジエに学んだ近代建築の空間構成と、レ−モンド譲りの民家風意匠とが結びついている。開口部や建具の工夫により、光を制御した静謐な空間が演出されている。撮影=吉村行雄
1961年竣工 (*建築図面、模型、写真パネルを展示予定)

東京開都500年の記念事業として、ル・コルビュジエの「国立西洋美術館」に向き合うように建設された本格的なオペラ劇場と小ホール、音楽資料室、会議室、リハーサル室などからなる文化施設である。楽屋やリハーサル室を地下に埋め、会議室などを屋上に載せて整理し、コンクリート打放しの大きな庇で全体を覆うことによって、ダイナミックな構成のロビーと、土木的スケールの公共スペースが生み出されている。海外の音楽家からも高い評価を受けるクラシック音楽の殿堂であり、前川國男の代表作のひとつである。日本建築学会賞を受賞し、「DOCOMOMO100」選定建築物にも選ばれた。撮影=吉村行雄
1964年竣工 (*建築図面、模型、写真パネルを展示予定)

弘前城趾・弘前公園の南の一角に建つホール施設。木目肌が粗々しくも美しいコンクリート打放し仕上げのボリューム感と深い窓スリットによる外観は、弘前の深い雪に包まれてなお力強い存在感を放っている。配置は大きな容積をもつホール棟と小振りな事務所・会議室・カフェからなる管理棟を伸びやかなポーチで結んだ構成。広いエントランスポーチは、開演前を待つ人々の、雪・雨よけのスペースとなる。核となる棟と棟を卍型の一辺で配置する平面構成は、前川建築のプロトタイプの1つといえる。撮影=吉村行雄
1977年竣工 (*建築図面、模型、写真パネルを展示予定)

熊本城郭の西端に建つこの美術館は「埼玉県立博物館」の延長上にある、日本建築の透明性を追った建築であり、前川の到達点を示している。敷地には、樹木、石垣、土手といった遺構がそのままのかたちで残され、建物は樹々の間を縫うようにして配置されている。空間の流れは、城の城郭が天守閣へ徐々に迫って行くように、道路から入口へ、そしてロビーから展示室へと、徐々に高くなるよう構成されている。壁の構成による水平方向の運動に加え、大地を築くようにして構成された垂直方向の運動は、格子状の天井板で覆われた広やかな空間の安定性の中にも微妙なニュアンスを帯び、昔からそこにあるものであるかのような風情と魅力を感じさせる。撮影=吉村行雄
建築家。新潟市に生まれる。1928年東京帝国大学工学部建築学科を卒業後に渡仏、1928-30年、ル・コルビュジエに師事した後、帰国。1930-35年レーモンド建築設計事務所に勤務。1935年、前 川國男建築設計事務所を設立。設計作品に、紀伊國屋書店、神奈川県立図書館・音楽堂、京都会館、東京文化会館、埼玉県立博物館、東京都美術館、東京海上ビル、熊本県立美術館など。日本 建築学会大賞、毎日芸術賞、朝日賞などを受賞。